(分かる奴だけ流し読め 恐らく一人もいないと思うが)
清涼院流水大先生の小説を読む人って
内容を楽しむんじゃなくて、最早あの分厚い本を読み切ると言うことが
快感になってる人が多いと思うのですよ
現にわしもそうでしたし
寝る間を惜しんで数百ページ、時には千ページを超える文章を
読み終えたときというのは、なんとも言えない感覚に襲われたものでした

つまり何が言いたいかというと、わしはMだぞ
ということです